2012年12月30日日曜日

久しぶりの里帰り

東日本大震災の直前に父の一周忌で里帰りして以来、実に二年ぶりの里帰りをしてきました。

実家には今、母が一人暮らししているのですが、25日に下の息子と私が先に行き、28日に妻と上の子が合流。
28日には母の計らいで蔵王の温泉ホテルに一泊し、29日には仙台時代の友達達と逢瀬を楽しみました。
年末年始の仕事のため、私は今日一人で九州へ戻りました。(妻と子供らは年明け後帰ってくる予定)
これだけ長い休暇は父の葬儀以来。
年末前の比較的ホテルが暇な時期を選んだとはいえ、休ませてもらえたのは本当にありがたいことです。
でも、終わってみれば、あっという間の時間でした。想い出はたくさんできたけど「あともう少し…」と思ってしまうのはワガママと言うものでしょうか。
とにかく、今日からまた仕事の日々が始まります。
今回の里帰りで補充したものを胸に、頑張ります。

2012年12月23日日曜日

『ポケット図解 ミクロ経済学がよーくわかる本―市場経済の仕組み・動きが見えてくる』

先日読んだ『アメリカの高校生が…』に続けて図書館で借りたミクロ経済学の解説本。ポケット版ということもあるのか、必要なことは一通り、簡潔に分かりやすく説明されていてすんなり理解できました。

2012年12月13日木曜日

「大使閣下の料理人」のKindle版が出てた

Kindleは買っていないので、純粋な意味での感想では無いけど、この「大使閣下の料理人」はグルメものの漫画の中でも割と好きな作品の一つで、できれば買い揃えたいと思っていました。
第一巻が99円かあ。それもデバイスに入れて好きな時に読めるというのだ。
これまでKindleの利用はまったく考えてなかったけど、ちょっと検討してみようと正直思ってます。

2012年12月11日火曜日

『アメリカの高校生が学ぶ経済学』

図書館で借りて読了。
経済学は高校、大学でさわりを学んだはずだが、すっかり忘れてるのか内容が違うのか、全く新しいものとして新鮮に読むことができました。

2012年12月10日月曜日

「Blogger」android公式アプリ


このブログでBloggerを使う理由は、無料で記事に広告表示の無い数少ないブログサービスの一つだからなのですが、実際の更新はスマホからがほとんどなので、アプリ経由の更新に手間取るようだと億劫になってしまいます。
ブログを続けられるかどうかは良いツールに出会えるかどうかにかかっていると言えます。
Bloggerには公式のandroid向けアプリがありますが、これが以前は使い勝手が悪く、これまでやっていた別なブログでは「Blog It!」、「BlogPost(Blogger Client)」などを愛用していました。

で、久しぶりに公式アプリを覗いてみたら更新されていたようなのでためしに使ってみました。

2012年12月9日日曜日

はじめのことば

このブログは、私、水天堂が読んだり見たり体験したものを報告(Report)したり、感想をのべたり(Review)、思い付いたこと考えたことを書く(Write my idea)ために立ち上げるブログです。

2012年9月3日月曜日

『柴錬水滸伝 われら梁山泊の好漢』柴田錬三郎著

図書館で借りた。

水滸伝関係をまともに読んだのは、横山光輝の水滸伝くらいで、解説本は読んだことはあるけど、ほぼこれが初見と言って良い。
なので、他の作家の料理法との違い=柴田錬三郎の魅力を語るのは無理。
まずは水滸伝独自の世界観に印象が集中している。

2012年5月16日水曜日

『猫のゆりかご』カート・ヴォネガット著 再読

カート・ヴォネガット著。
以前読んで、カート・ヴォネガット作品にはまるきっかけとなった本。
読むものがなかったので改めて読んでみた。

2012年4月7日土曜日

『地球幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著 読了

確か高校生の頃に読んだのだが、だいぶテキトーな読み方しかしてなかったことを、読み直してまず実感。
そして、高校生の頃の私では面白く感じられなかったろうなと言うのが、第一の感想。

今となっては類似のクローン作品の枚挙に事欠かないSFの古典的名作の一つで、一言で言えば終末物語。
人類を母体に新しい人類?が生まれ、その人類の旅立ちと共に地球は滅びるという絶望感は、たぶん高校時代の私には受け入れ難い展開だったろう。
子供が生まれ子育てをしている今の視点でもなかなか悲しい話だが、新しい生命を生み出し育て送り出して別れるということの意味と思いは理解できる。そして、この物語は、新人類や若者の話ではなく、それらの土台となる人々の物語として見た方が遥かに心に突き刺さる。

余談だが、ガンダムおよびそのクローン作品ではいつまで経ってもニュータイプは超能力者の域を出ないのは、その先に進めばこういう世界を描かなければならないからなんだろうなと思う。
そこを着き詰めたらイデオンにしかならない。

ともあれ、面白かった。
ちなみに今回読んだのは1987年に出た改訂版を底本にした光文社のもの。第一章の東西冷戦的な表現がなくなったそうだ。
そのせいだろうか、枝葉は当然古い感じの部分もあるが、全体的にはスマートで現代的な雰囲気で読み易い。
読むならこの版がオススメ。

2012年3月23日金曜日

「イワンの馬鹿」トルストイ著

青空文庫で読んだ。
「イワンの馬鹿」トルストイ著 菊池寛訳

まだ、共産主義が夢として語られていた時代の労働賛歌。
一言で言ってしまえばそんなお話。

馬鹿こそ賢い、と言うか、身体感覚が一番正しいという信念を軸にしたファンタジーであり、トマス・モアの『ユートピア』に通じるものがあるが、後者が、ユートピアをユートピアたらしめる原動力を語らないのに対し、今作品では、イワンの「いいとも、いいとも」が、その原動力として語られている。
と言うことは、イワンの死後、この馬鹿たちのユートピアがさかしい者たちの攻撃を払いのける原動力を失い、デストピアになったことは想像に難くない。
馬鹿が賢くなるには努力すればよいが、馬鹿が馬鹿であり続けるには才能が必要で、特定個人の才能に根差したシステムはその個人の死去によって崩壊せざるをえない。

序盤のお伽話的な場面では感じない不安感が、馬鹿の王国の完璧さを語る後段に行くに従って強まって行くのを、この王国ではテーブルに着く権利はなさそうな理屈屋の私は感じてしまうのでした。

2012年3月19日月曜日

「フィッシュストーリー」伊坂幸太郎著

文庫版『フィッシュストーリー』(新潮文庫)の中の一遍。
久々にもろ好みの作品に出会えた気分。

伊坂幸太郎の作品にはどことなくカートボネガットの作風を感じるのだが、その真骨頂と言う感じ。
短い話が絡み合い、本人たちが意識しないまま、ある運命の大きな流れを構築するという構造。
他の作品では、談判破裂して暴力の出番となることがやや多い様に思うが、この作品はその無理矢理黙らせる感がほとんど無く、ふわふわとたんたんと物語が紡がれていく。こういうの好きだ。

そしてそれを英語でほら話を表す「フィッシュストーリー」と名付ける感覚もいい。
確かにほら話で、ほら話ゆえのカタルシスがある。

リアルであることが絶対ではない、正しいわけでもない。
リアルでないことを開き直りながら、因果をめぐる冒険をはにかみながらふわふわと語る、こういうお話が、伊坂さんの真骨頂じゃないかと思う。

そして、伊坂幸太郎にあって村上春樹に無いのは、この明るいふわふわ感だとも思う。

2012年2月29日水曜日

日本人の死生観

日本人の死生観は一言で言えば「死んでも生きている」で、これは「モノだって人間だ」ということであり、遡れば八百万神、九十九神、間近くは萌え文化に通ずるものだ。
そして、死んでも死なないから、死者への弔いが重要であり(先祖供養、タタリ神、魂鎮め)、また、死ぬことに積極的な意味が付加される(切腹、心中)。

仏教の諸行無常は死の情念強化に活かされ、輪廻からの解脱は死んでも死なないイメージに融合して「死ねば皆仏」となり、葬式仏教として換骨奪胎されて受け入れられた。

だが、なくなるものもある。
それは、生活圏の外から来るモノだ。

外から来るものは内に福をもたらすが人ではなく、人ではないからいつか必ずこなたから彼方へ帰っていく。
多くの物語が外から来たものによって恵みを受け、また外へ帰っていくえびすがみを描いている。

こうした考え方の根っこは、だからダメというのではない。
日本人のそうした考え方は今でも脈々と現代人の中に残っており、そうした考え方が、理性を超えた部分の判断基準となっていることが多い事は、把握しておくべきことだろう。

2012年2月20日月曜日

映画「スマイル 〜聖夜の奇跡〜」

妻が借りてきたDVDを家族で観た。
役者の陣内孝則初監督作品。
(そして私はすっかり陣内智則と勘違いしてトンチンカンな感想を投稿し、妻に教えてもらうまで気が付か なかった。(^_^;)
なのでこれは修正版です。)

少年アイスホッケーチームを舞台に展開する少林サッカーで、マクドナルドのイメージアップ映画で、悪く 言えばご都合主義的展開連続のロマンティックが止まらない映画である。

誤解の無いように。
だからダメというのではなく、それがとてもいい感じで、爽快で愉快で心温まりほろ苦いワクワクする映画 だった。
演技が出来る子にアイスホッケーをやらせるのではなく、アイスホッケーの出来る子に演技をやらせたそうだが、この世界観の中では、演技の違和感は全く無い 。 むしろ、アイスホッケーのシーンのリアリティやダイナミックさにその辺が生きていて、カメラワークの巧 みさだけで作った「それっぽいシーン」を超えるものがありそれだけでも一見の価値アリ。

全編これくさいシーンとご都合主義のオンパレードな ので「映画はリアルな人生ドラマでなくてはならない !」という層にはオススメしないが、娯楽映画としての完成度は高いと思った。

要は徹底(こだわり?)なのだと思う。くさいシーンくさい展開で徹底すればそれが世界観を作り魅力となる。
それに成功している映画の一つだと思う。

気楽に見れる映画が見たい時にはオススメ。

(逆に言えば、ご都合主義やくさいシーンが問題なのは、多くの作品が「なんとなく」そうしたシーンや展開を入れているためだと思う。それが世界観を、物語の厚さを薄め、見てるほうが素に戻ってしまうのだ。 )

(マクドナルドがスポンサーであることは、前半はサブリミナル程度、後半は結構大々的に出て来る。 ヒロインが難病と戦う辺りは難病の子供を抱える家族をサ ポートするドナルド・マクドナルド・ハウスを想像さ せる…というのは穿ち過ぎか。 でもそれも、良い感じに入れ込んであり、ここまで徹底されるとむしろ心地よい。)

(それとコーチ役の森山未來が時々やっていた両手を グイッと広げるポーズ、見てる時は思い出せなかったのだが、陣内孝則監督作品と聞いて思い出した。
「あいしあってるかい」だ。
つまり、あれは監督自身なんだろうな。)

(あまり聖夜という気がしなかったのは残念)