2009年3月29日日曜日

「三国志」を見て

ユナイテッド・シネマ福岡でアンディ・ラウ主演の「三国志」を見てきた。

前評判では「三国志と思って見るとガッカリする」とのことだったが、確かにそんな感じ。
でも、思った程ひどくはなくて、「戦国時代の歴史小説が好きだけど“花の慶次”も好き」という方なら十分楽しめると思う。
ただ、そうは言っても「三国志」と銘打つのはどうかとは思う。

以下、ネタばれあり。
観る予定の方はご注意下さい。

「三国志」と銘打っては居ますが、実際はその中でも美丈夫として有名な趙子龍(趙雲)の生涯にフォーカスした映画。

公式サイト
http://www.sangokushi-movie.jp/

割と詳しいストーリーがサイトに載っている。ので、省略。

アンディ・ラウ扮する三国志の英雄趙子龍とサモ・ハン・キンポー演じる羅平安(架空の人物)の運命の明暗と友情の物語で、私なりにタイトルを付けるとしたら、

『老いたる英雄の憂鬱 ~趙雲列伝~』

見たいな感じか。

趙子龍の物語と言う意味で、若い頃から最後の出撃までを男の友情などと共にまとめた作品だが、ストーリー的にはやや穴も多く、ややV-シネマ的な部分もあり、失礼な言い方かもしれないがB級任侠映画の一つとしてみた方がたぶん楽しめると思う。

見ていて、「私だったら」という想像が結構動いた。

私だったら趙雲が最後に篭城した城をメインステージにする。
絶望的な状況で援軍を待つ老英雄。
じりじりとした時間の中で、昔から一緒の戦場に身を置いていた兄貴分でもある羅平安と初めて出会った頃や運命を分ける長坂の戦いなどを語る。

波状攻撃を行う包囲軍に対しては老いてなお獅子奮迅の戦いを見せる趙雲。

しかし、包囲軍は何もせず囲んでいるだけの日々もあり、城内の士気は落ち、ふとした拍子から羅平安に裏切りの疑いが掛かる。命を投げ出してみせる羅平安に、疑いを打ち消す趙雲。

そんなこんなしている内に、援軍が来ないことが明白になる。
絶望的な状況の中で、最後に華々しく散ることを願う兵士達の出撃を見送った後、羅平安と語る趙雲。
実は本当に裏切り者だったことがわかる。しかし、それを許す趙雲。
羅平安の銅鑼を聴きながら最後の出撃を行う。と言う感じか。

蜀の国のこととかは入れない。(サブエピソードとして入れても良いが。)
もっとなんか閉塞感漂う物語に仕上げて欲しかったなあ。
んで、若いシーンは挿話的にして老いたる将軍のシーンを中心にして。
物語開始時点では、英雄として一時代を築いた自分に降りかかる運命に対し忸怩たる思いを抱いていた老英雄が、それに対面し、最後にはそれを受け入れるというカタルシスが見たかった。

ちょっとわかりやすかった。
レッドクリフに対抗しようとしたらしいが、(あっちも見ていないが)同じ方向性を狙った結果、制作費の差による派手さの差で負けちゃったように思う。
大手資本の旅館の価格競争に巻き込まれた中小旅館みたいな物か。
別な切り口が必要だったと思う。

「三国志」って言うタイトルもやっぱりね~。
私にとっては、「三国志」と言えばやはりこっち
だし。

『金持ち父さん貧乏父さん』読了

『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ著)を読んだ。

妻がだいぶ前に購入した本で、タイトルや帯を見れば内容的に大体予想が付き、この手の本は好きじゃないので避けていたのだが、なんとなく読んでみようと思って持って行った。

当初、金持ち父さんは何故金があるのか、どうやって稼いだのか、と言った、テレビのニュースで表彰される様な成功者の金儲けテクニックと説教と自慢話の本だと思っていたのだが、読中読後に頭の中に思い浮かんだのは、坂口尚の『あっかんべェ一休』(講談社漫画文庫)だった。

「全ての人が“人生に突かれ”ながら生活しており、突かれることに対抗するために、金や力を手に入れようと考えるが、金や力も所詮は道具でしかなく、人生の舵取りを自分で行えない限り=突きにかかる人生に立ち向かわない限り、金を稼いでも根本解決にはならない。
お金持ちになりたいなら、お金の持つ魔力(もっとお金があれば幸せになれるという幻を見せる力)から自由にならなければならない。」

というような(かなり偏りのある要約だが)主張が根底にある。

この辺はよくわかる。
今までに就いた全ての仕事で、「このままじゃジリ貧だ」という思いを抱かなかった仕事はない。
しかし、ではどうしたらジリ貧から逃れることができるかになると、どこかにある答えを期待し、あるいは上司が、会社が、あるいは世界が自分の成果を認めてくれてジリ貧から救い出してくれると、無邪気に期待していた(いる)ような気がする。

シンデレラですな。

10年前なら、この本を読んでも特に感慨は沸かなかったろうと思う。
お金を稼ぐことで、何も変わらないと思っていたから。
でも、そうしてお金を稼ぐことから目を背けて生活を続けてきても、結局何も変わらなかった。
本の中の言葉で言えば“人生に突かれ”まくっている。
抵抗することもできず、結局、新しい境遇からもリタイヤしてしまったわけだが、これだって、自分で選んだわけじゃない。直接的には会社の選択だが、結局の所、私自身が自分の人生に立ち向かいきれなかったからで、その根底にある原因は、日々の生活の糧を得るため=「お金を得るため」仕事をしてきてしまったことにあると感じた。

生活を維持するため、より良くするためにはお金が必要で、その為には仕事をする必要があって、
これまで、私にとって、仕事とは日々の生活を維持できればそれで十分、それ以上は仕事したくないと考えていて、
でも、子供や家族を幸せにしようと考えたら、その欲望を十分満たすお金が必要で、
考えを変えて仕事をドンドンやればやるほど心身に負担が募って、死ぬことばかり考えるようになって、
これらの色々の根源は、詰まる所、お金を稼ぐことに対して真っ向から立ち向かおうとしなかったからなんだと思う。

どうすべきか?

仕事から自由になるには。会社や上司や世界から自由になるには。
それを考える度、「もう遅いよ」とつぶやく自分がいる。
「一番大事な時期を無駄に過ごしたんだからしょうがないよ。」と。
たぶんこのまま人生を終えるとしたら、今わの際にそういう感想を持たざるを得ないだろう。
つい最近まで、それもしょうがないと諦めてきたが、よく考えると、それこそ、これまでずっと、そうはなりたくないと思い続けていたものだ。

まあ、お金に対して自分の頭を使うことが大事なんだと思う。
これから、少し悪足掻きしてみよう。

あと、こんなブログもあった。

「金持ち父さんは実在しなかった!」 - 幸せな成功のための魔法の杖

ゲームを売るための本だったと。さもあらん。
んで、この著者自信がロバート氏のセミナー商法を実践しているらしい。
情報が一番の商品、なんでしょうな。