2017年10月11日水曜日

“排除しない理念”の例外

先日発足した立憲民主党の枝野氏が“排除しない”というキーワードを使って自党の軸にしている。
このキーワード、個人的には大変素晴らしいと思っているのだけど、同時にどうしても不安感も感じずにいられない。
なんというか「プロレスで悪いレスラーは凶器攻撃が悪のレフリーによって黙認され正義のレスラーはそれを受け止め耐えることしかできない。」みたいな歯がゆさというか不快感というか。

“排除しない”ことはより平等に生きていける社会を目指す上で欠くべからざる要素である。
だが、これは“自由に生きる”こととは案外相性が悪い。