2012年3月23日金曜日

「イワンの馬鹿」トルストイ著

青空文庫で読んだ。
「イワンの馬鹿」トルストイ著 菊池寛訳

まだ、共産主義が夢として語られていた時代の労働賛歌。
一言で言ってしまえばそんなお話。

馬鹿こそ賢い、と言うか、身体感覚が一番正しいという信念を軸にしたファンタジーであり、トマス・モアの『ユートピア』に通じるものがあるが、後者が、ユートピアをユートピアたらしめる原動力を語らないのに対し、今作品では、イワンの「いいとも、いいとも」が、その原動力として語られている。
と言うことは、イワンの死後、この馬鹿たちのユートピアがさかしい者たちの攻撃を払いのける原動力を失い、デストピアになったことは想像に難くない。
馬鹿が賢くなるには努力すればよいが、馬鹿が馬鹿であり続けるには才能が必要で、特定個人の才能に根差したシステムはその個人の死去によって崩壊せざるをえない。

序盤のお伽話的な場面では感じない不安感が、馬鹿の王国の完璧さを語る後段に行くに従って強まって行くのを、この王国ではテーブルに着く権利はなさそうな理屈屋の私は感じてしまうのでした。

2012年3月19日月曜日

「フィッシュストーリー」伊坂幸太郎著

文庫版『フィッシュストーリー』(新潮文庫)の中の一遍。
久々にもろ好みの作品に出会えた気分。

伊坂幸太郎の作品にはどことなくカートボネガットの作風を感じるのだが、その真骨頂と言う感じ。
短い話が絡み合い、本人たちが意識しないまま、ある運命の大きな流れを構築するという構造。
他の作品では、談判破裂して暴力の出番となることがやや多い様に思うが、この作品はその無理矢理黙らせる感がほとんど無く、ふわふわとたんたんと物語が紡がれていく。こういうの好きだ。

そしてそれを英語でほら話を表す「フィッシュストーリー」と名付ける感覚もいい。
確かにほら話で、ほら話ゆえのカタルシスがある。

リアルであることが絶対ではない、正しいわけでもない。
リアルでないことを開き直りながら、因果をめぐる冒険をはにかみながらふわふわと語る、こういうお話が、伊坂さんの真骨頂じゃないかと思う。

そして、伊坂幸太郎にあって村上春樹に無いのは、この明るいふわふわ感だとも思う。