◆『バブルへGO!!?タイムマシンはドラム式?』
監督:馬場康夫
土曜プレミアムで観る。
「バブルは、崩壊して初めてバブルとわかる」 - 2007年3月、800兆円の借金を抱え破綻の危機に瀕した日本経済。
財務官僚の下川路功は諸悪の根元を、1990年に大蔵省から通達された総量規制の行政指導をきっかけとするバブル崩壊にあると考え、タイムマシンで歴史を遡りバブル崩壊を阻止しようと計画する。
彼は偶然から洗濯機型タイムマシンを発明した昔の恋人・田中真理子を1990年3月の東京に送り込むがほどなくして彼女は消息を絶った。死亡として処理された真理子の葬儀の席で、下川路は彼女の娘・真弓と出会う。
事実を知った真弓は母を捜すため1990年の東京にタイムトラベルするが、そこには2007年の感覚からすると想像を絶するようなバブル文化に浮かれる人々がいた…。
果たして真弓は17年前の下川路と協力してバブル崩壊を阻止し、母と再会することができるのだろうか?
(Wikipediaより)
観ながら、バブルの頃=20代入ってすぐの頃を色々と思い出した。
正直、バブルの恩恵は全くと言って良いほど享受していない。その当時に演劇に嵌り、どんどん社会から外れていったためもあるし、またそうでなくても、性格的にあんな生活には縁が無かったと思う。
こと私個人の生活のレベルと言う点でだけ言えば、あの当時より、むしろ良くなっていると思う。
もし、今の記憶と能力を持ったままあの時代に戻れたら、何をするだろう?
もし可能なら、今度は無理してでもパソコンを手に入れ、勉強して、インターネットやパソコン関係の会社を立ち上げたいと思う。
まあ無理なのですが。
タイムマシンものから切っても切り離せないのがタイムパラドックス。
この映画では、その辺を楽観的かつあっさり目に終わらせている。
ハリウッド映画的というか、ハッピーエンドなら全て良しというか。
そういうノリで作られている映画だし、その辺を突き詰めてしまうと付いていけない人も出てくるだろうから、そういう意味では娯楽映画としてのバランスを崩さずに作られた良い映画だったと言えるだろう。
タイムパラドックスには二つの見方がある。
一つは、時間軸は1本だけとする考え方。
もう一つは、時間軸は無数に分岐するとする考え方。
どちらの立場を取るかによって物語の展開は大きく変わる。
前者の立場は、つまり「過去と未来は一つである」という考え方でもある。
過去をいじれば戻った先=未来は大きく変わり、未来に属する自分の存在もその瞬間に変わってしまう。過去で自分が生まれる前に自分の母を殺せば自分も消えてなくなる。…というわけだ。
後者の立場を採るなら、過去をいじればその時間軸の未来は変わるが、それはあくまでその時間軸だけの話で自分が属した時間軸は変わらないので、例えば自分の母を殺しても、殺した自分自身は消えず、その時間軸上の未来に生まれたはずの自分の存在の可能性が消えるだけだ。
タイムスリップとはパラレルワールドへのスリップと言うわけである。
ある人間は一つの時間軸上でしか生きられないのだから、どっちだって結局同じとも言える。
だが、どちらかと言えば前者の方が存在の理由、すなわちレゾン・デートルを突きつけられると言う点で、物語性があるため、前者をベースにしたタイムトラベルものが多いように思う。
この映画でも前者的な立場でその辺の処理がなされていたが、最後に薬師丸ひろ子が見せるなんともいえない複雑な笑みは、むしろ後者的な見方から「別な世界に放り出された人間の当惑」を表現していたのではないかとも思うのだがどうだろう。
いや、考えすぎか。
ともあれ、私には『ALWAYS 三丁目の夕日』より、実感があった分面白かった気がする。