2004年2月29日日曜日

天台宗 続報

先日、ここに書いたばかりの天台宗ですが、偶然か今日仕事をやってきました。これがシンクロニシティって奴でしょうか。
 実際見て、やっぱり密教なんだなと思いました。ベースは密教。で、式は主に阿弥陀様におすがりして救っていただく面が強く、式後の繰上げ法要には法華経を読み上げて回向してます。
 お式の形式は真言宗的です。でも唱えている内容は浄土宗系に近いですね。法要の形式が日蓮宗系、特に友人葬などの日蓮正宗系の形式に似ています。…と、他の形式から逆算して行くと散漫過ぎてわかりにくいですね。
 歴史の流れ的に言えば、こちらの方が平安期(中国で言えば唐代?)当時の北伝仏教の姿に近いのでしょうね。
 宗教には、形而上学的な面、呪術的な面、カウンセリング的な癒しの面など様々な面があり、それらを過不足無く持っているのは天台宗だと言えるかもしれませんね。

2004年2月26日木曜日

仏教宗派についての覚え書き 天台宗

今日、ひさしぶりに図書館に行く暇が出来たので、ぶらっと覗いてみました。仕事柄仏教に触れることは多いのですが、割と触れる機会が無いのが天台宗です。そこで、今日はその辺を調べてみました。
 天台宗の宗祖は最澄で桓武天皇の頃の人…位は知ってたのですが、数少ない天台宗での葬儀の経験では、なんでもあり風の宗派のような気がしてどんな宗派なのかわかりませんでした。
 天台宗の根本理念の一つにあらゆる仏はお釈迦様であり、同一のものであるという考えがあります。同じ時代に興隆した真言宗では大宇宙の象徴である大日如来を絶対仏とし、お釈迦様はそれを世に広める使命を持って生まれたという考え方をしたことと対照的です。キリスト教とユダヤ教の違いみたいなものを感じますね。
 上のような考え方から、天台宗は誰でも成仏できるという考え方を採ります。真言宗、天台宗の以前の仏教では限られた人しか成仏できないとしてましたから、それよりも門戸を広げた形になります。
 天台宗では法華経(妙法蓮華経)を絶対経典とします。これは後に日蓮宗に採り入れられます。
 天台宗では悟りに至る方法として禅と念仏を採ります。前者は各禅宗に、後者は念仏宗に採り入れられます。
 また、真言宗の密教を採り入れてますので、加持祈祷を行うことが出来ます。
 なんでもありと感じたのは間違いではなかったようです。真言宗・天台宗以前の律宗、華厳宗などは南伝仏教で、いわゆる上座部仏教(小乗仏教)でした。それも学問としての仏教的な意味合いが強かったようで、民衆の救い(あるいは時の政府の守護)には向かなかったという感覚があったのでしょう。より救いの色合いが強い当時の北伝仏教(大乗仏教)の集大成である総合仏教を目指した宗派であったようです。
 鎌倉期以後、天台宗の本山、比叡山延暦寺に学んだ僧侶達によって上に書いたようなそれぞれの要素がより抽象化、集中化した各宗派を形成した辺りはある意味実に日本的であると言えるかも知れません。(日本の様々な分野の展開には、汎用より、個的深化を尊重する傾向がある気がします。)

 禅宗や念仏宗の興隆によって天台宗は衰え、今現在、仙台周辺では三軒ほどしかお寺さんが残ってません。真言宗の方が数があります。
 天台宗は仏教のスーパーマーケットだと言えるでしょうね。そこから専門店の時代になり…。これからの天台宗に求められるのは、コンビニ化かもしれませんね。

2004年2月7日土曜日

お経の読み方

…何を書いてるんだか。
 今日のお通夜のお寺は日蓮宗でした。(ちなみに私の仕事は葬儀の司会です。)久しぶりなので、どんなだったっけとお経を聞いていると、いわゆる方便品を読経して、その後は聞いたことのないお経を読んだり色々日本語で語りかけておりました。
 方便品と寿量品は創価学会なんかでも盛んに唱えられているお経ですが、だいぶ雰囲気は違いました。お経の読み方は宗派によって様々で、さらにお寺によっても細かく違います。
 うちの本家の菩提寺は浄土真宗なのですが、浄土真宗のお経は謡のような読み方記号がお経の本についています。それに従って、こぶしを入れたり上げたり下げたりするのです。菩提寺の住職さんは正に謡のような読み方なのですが、仙台の住職さんだと飾り気がない読み方の人が多いです。まあ、飾り気ない方が読経が早く済んで楽なんですけど、仕事的には。
 ああいうのは、直接ついた師匠によって違うんだとか。だから、師匠が下手だと下手くそな読み方になりがちのようです。

 でもまあ、本当に大事なのは中に書かれてることなんだと思うんですけどね…。