ラベル 政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年10月11日水曜日

“排除しない理念”の例外

先日発足した立憲民主党の枝野氏が“排除しない”というキーワードを使って自党の軸にしている。
このキーワード、個人的には大変素晴らしいと思っているのだけど、同時にどうしても不安感も感じずにいられない。
なんというか「プロレスで悪いレスラーは凶器攻撃が悪のレフリーによって黙認され正義のレスラーはそれを受け止め耐えることしかできない。」みたいな歯がゆさというか不快感というか。

“排除しない”ことはより平等に生きていける社会を目指す上で欠くべからざる要素である。
だが、これは“自由に生きる”こととは案外相性が悪い。

2012年3月23日金曜日

「イワンの馬鹿」トルストイ著

青空文庫で読んだ。
「イワンの馬鹿」トルストイ著 菊池寛訳

まだ、共産主義が夢として語られていた時代の労働賛歌。
一言で言ってしまえばそんなお話。

馬鹿こそ賢い、と言うか、身体感覚が一番正しいという信念を軸にしたファンタジーであり、トマス・モアの『ユートピア』に通じるものがあるが、後者が、ユートピアをユートピアたらしめる原動力を語らないのに対し、今作品では、イワンの「いいとも、いいとも」が、その原動力として語られている。
と言うことは、イワンの死後、この馬鹿たちのユートピアがさかしい者たちの攻撃を払いのける原動力を失い、デストピアになったことは想像に難くない。
馬鹿が賢くなるには努力すればよいが、馬鹿が馬鹿であり続けるには才能が必要で、特定個人の才能に根差したシステムはその個人の死去によって崩壊せざるをえない。

序盤のお伽話的な場面では感じない不安感が、馬鹿の王国の完璧さを語る後段に行くに従って強まって行くのを、この王国ではテーブルに着く権利はなさそうな理屈屋の私は感じてしまうのでした。

2008年7月22日火曜日

共産党のマーケティング

今日、TVタックルを見ていたら共産党の話題が出た。
党員40万人。
政党助成金無しでやりくりする数少ない政党の一つで、自社ビルまで持っているが全て党員の寄付や党費で賄っている。

これは、つまり多くの顧客によって経営が成立している施設と一緒だ。

では彼らはなにを持って顧客を獲得しつなぎとめているんだろうか。

1つには赤旗の存在があろう。
公的に販売されている政党の広報媒体であれだけ強いものは、公明党の聖教新聞ぐらいだ。しかも後者は本来宗派の媒体であって政治専門の媒体ではない。

もう一つには「理想」の存在があるだろう。
これは公明党も一緒だが、他の政党はその時その時の状況で「理想」を口にすることはあるが、継続的かつわかりやすい「理想」を何らかの形で提示できているのは共産党と公明党だけではないだろうか。
共産党が掲げる理想は「共産主義が本来目指した理想世界の実現」であり、それは赤旗にも、ポスターや広報誌にも、議員の言動にも色々な形で主張されている。

前者は施設が顧客に送るメッセージ媒体であり、例えばメルマガやDM、ニュースレター。
後者は施設が顧客を満足させるために用意する物語=こだわり。

ビデオの冒頭大竹まこと氏が共産党党本部を「資本主義の象徴」と表現していたが、これは言いえて妙だ。
共産党の今があるのは、マルクス共産主義の力ではなく、それを日本の風土に合わせて噛み砕き、誤解を招きやすいからこそその表現に心を砕き、見直しし、常に顧客の立場で主張し、それを党員や支持者にフィードバックし、・・・というマーケティング戦略の結果であると言えるだろう。

これは共産主義という極めて売りにくい商品を売るためであったと思える。
例えばちょっとしたおまけ(1票いくらのお礼金)ではどうしようも無かったからこそ、マーケティング戦略が高度に発達したのではないだろうか。
出演していた民主党や自民党の議員は「いやーうちは自社ビルじゃないし(笑)」、「うちも本部はボロボロで...。こんなんが政権与党やっちゃだめだよね。(笑)」と卑下しつつ馬鹿にしているような発言をしていたが、創業400年近い経営が傾いた老舗の経営者が、楽天で地域No.1に輝いた隣の小さい旅館に同じようなことを言っていたのを思い出す。

あ、ところで。
誤解が無いよう、私は政治的にはニュートラルです。

2004年4月21日水曜日

政府関係者

昼のニュースで、世界中に流れた銃やナイフで脅されている三邦人の映像は演技だったと本人達が告白したと、一部政府関係者が言っていたそうな。
 まあ、2chなどではとっくの昔から当然のように語られていた話ではあった。
 心情的には"げ、やっぱりヤラセか。騙されていたか。"とか思うところはあるけど、その辺の話は他の人もここぞとばかりに語っていると思うので置く。
 ここで味噌なのはやっぱり、政府関係者が語ったと言う点だろう。
 政府は、事件早々あの映像の元になる映像を手に入れていて、あれがヤラセであると判断していたとか。だから、いつも後手後手弱気な日本政府が、あくまで強気に「自衛隊は撤退しない。」と言い切り、三人を見殺しに出来たのだろう。
 政府が見殺しにしたがために、三人の家族達は言動をエスカレートさせ、その結果、日本中から総スカンを食うようになった。
 そして、三人が帰って来たこのタイミングで、その辺をリーク。
 演技であった点を掴んでいたのなら、今回の事件もっと早期にかつより穏便に解決することも出来たと思う。そうしなかったのは、結局、こうするのが政府にとって一番徳だったからでしょう。

 もちろん、三人がもし端っから世界中を騙すために彼らと協力して行動したとだとしたら、世界中から非難されるのは仕方ないだろう。でも、拘束された結果の行動なら、緊急避難行動の内と解釈すべきだと思う。
 迷惑かけたと言うけれど、政府がどれだけのことを彼らにしたのだろう。目に見えてなにもしていなかった、と言うか"なにもしない"という行動をとっていたわけだし。大多数の国民に直接的な被害を与えたわけでもない。(少なくとも、自衛隊が撤退したからと言って実害無いどころか、その分をNGOにでも回せばもっと効率良く、かつイメージ良くイラク国民のための活動が出来るだろう。だって、向うに取ってはやっぱり、アメリカの配下の軍人達が兵器片手に水を配ってるとしか見えんでしょう。)

 あの三人とその家族は、そういう意味で本当に可哀想だと思う。
 日本が軍国化するための重要な一歩のための贖罪の羊に選ばれてしまった。アメリカにとっての真珠湾のように。(そういう意味では、アメリカで三流作品と判断された"パールハーバー"が日本で大ヒットしたのは実に示唆的だ。)
 明日は我が身だろう。誰に取っても。
 戦後の世界史に、今の時代はどう書かれるのだろう。
 これは、本当の民主主義が生まれるための産みの苦しみなのだろうか。

2004年4月16日金曜日

非国民

武装集団に拘束されていた日本人三人が開放された。
無事に開放されたこと、本当によかったと思う。

今回の事件、結局は自業自得であった部分があるのは事実で、かつ、それは本人達も、また家族達も十二分にわかっていたと思う。
だからと言って、その命が粗末に扱われて良いと言うことにはならないし、ましてや、赤の他人が彼ら、彼女らを攻撃してよいという理由になるはずがない。

今回の事件中に、被害者家族を「不愉快だ」という理由で攻撃していた知り合いがいた。彼の中には無意識に"非国民"という言葉が横切っていたのではないかと思う。
私は"非国民"という言葉も、そういうレッテルを(無意識にでも)他人に貼り付ける人が嫌いです。大体、そんなこという人間の90%は国のことなんか考えちゃいない。ただ、他人を思う樣攻撃できる口実が欲しいだけなのだ。
ドイツがパリから撤退し、連合軍が入場したとき、ドイツの将校とつきあった女性は片っ端から迫害され、リンチやレイプにあったというが、ではそういった行為をした人間の中に、ドイツにへつらっていた人間もいたはずだ。
中国の文化大革命しかり、大東亜戦争時の日本しかり。
人を大事にする心の無い国家政策はファシズムだ。民主国家と言うレッテルが貼られていてもだ。
世界中で自由も民主主義も空洞化し、ファシズムとエゴイズムが充満しつつある。
恐い世界だ。