2009年8月5日水曜日

東野圭吾『容疑者χの献身』

を病床にて読んだ。

テレビドラマにもなったガリレオ先生の話だが、中盤過ぎるまで、全て見えてるはずなのにモヤモヤしているのが、最後にピシッとシンプルで極めて残酷な絵を結ぶ展開は秀逸。

例えて言うなら、グスコーブドリの話の最後で、島に残ったブドリが後ろを向いたら博士とかネリとかが残ってたみたいな、…うん違う。もっとこうどうしようもない、でもパンドラ箱の底の希望みたいなのは残ってるみたいな終わりだった。

ガリレオ先生大活躍の巻を読みたい方にはお勧めしない。

なんとなれば、この本の中で一番わがままで残酷なのはガリレオ先生だから。

ホームズ先生だったら

「僕の親友の誇りを掛けた闘いを邪魔するほど、僕は傲慢ではないよ。」

「じゃあほっとくのかい?ホームズ。」

「残念なことだが、しかたあるまい。悲しいことだねワトソン君。優れ過ぎた頭脳を持っていても、この愚かな世の中では、その才能を本当に活かしきることができないのだからね。今夜は長く別れる友のためバイオリンの新譜でも演奏しながら時を過ごそう。」

とか言って推理は披露するけど無かったことにしそうな気がする。

時代も違うし、国も違うけどね。

あ゛、あと攻殻のバトー風に

「あいつは行っちまったのさ。膨大な数式世界へ。一輪の思い出を持ってな。」

とか言う手もあったんじゃないか。無いですか無いですね。

ガリレオの他の本も読みたくなってきた。