2009年7月18日土曜日

「スカイクロラ」の感想

大分前に読み終わって、何度か読み直し、感想も一度書いたのだが、改めて書いてみようと思う。

と言っても、結局、映画版との比較に終始するのだが。

原作を通して感じるのは、翼を失った天使の物語というイメージで、それに対して映画のテーマは卒業なのだ。

もちろん、勝手なイメージ。

「終わらない話を終わらせる」という点は共通なのだが、視点が違う。

原作が「天使でいたかった子等の視点による堕落と、堕落を逃れるための昇天」を語っているのに対し、映画は「卒業した者の視点によるモラトリアムからの卒業」に重心が置かれている。

感覚的には、原作の語る子供観には納得する部分も強い。

しかし、それをヒロインの死で無理矢理終わらせた感じも正直ある。

それは、続く方が(堕落していくことの方が)残酷で救いが無いと私が感じているからかもしれない。

「スカイクロラ」以前の押井作品は、「世界を停滞させようとする者とそれを妨害する者の戦い」をテーマにしている事が多かった。

その際、従来は、ややノスタルジー的とは言え、「停滞させる者」を(麿子や、ケルベロスなど。)魅力的に描くことが多かった。

またそれゆえに、「スカイクロラ」が琴線に触れたんだろう。

しかし、原作の持つ「そのままを求め叶わぬ哀しさ」を俎上に載せた時、押井自身の「停滞させる者」よりも「それを妨害する者」への要素が強くなったのではないだろうか。

それが上述したイメージの違いになったのではないだろうか。



そんな気がした。

2009年7月2日木曜日

ユニットバスの入り方

会社の寮はユニットバス。

しかもサーモスタットが調子悪く、どう調整しても、熱湯→水→熱湯を繰り返し、その間の数秒間しかシャワーがまともに使えない。

つまり、

・お風呂に浸かると身体が洗えない。

・身体を洗うには使い難いシャワーで悪戦苦闘しなければならない。

・両方やると時間がかかる。

というジレンマがある。

それを妻に言ったら一言。

「溜めて洗ったら?」

そこで、最近編み出してやっているのがこれ。

・まずお湯を溜め、湯船に入る。

・頭を濡らし、身体が暖まるまで浸かる。

・暖まったら頭をシャンプーで、顔をボディソープで洗う。

・湯船のお湯で泡を洗い落とす。

・立ち上がって身体をボディソープで洗う。

・湯船に浸かって泡を洗い落とす。

・お湯を抜きながら最後にシャワーで全身と湯船の泡を流す。

・終わり

妻が言っていたのとは違うかもしれない。いや、たぶん違う。

でもこの入り方なら、

・シャワー使うストレスな時間が極めて短い。

・お湯に浸かるのと身体を洗うのを両立できて、しかも時間短縮できる。

・狭いユニットバスであまり動かないで比較的のびのび過ごせる。

特に最後のは意図していなかった点だが、私みたいに図体がでかいと結構嬉しい。

「溜めたお湯に泡を落とす。」と言うのは日本では基本的にタブーなので最初ちょっと躊躇したが、考えてみると海外には泡風呂なんかもあるわけだから。

これで入浴剤入れたら完璧。だと思う。