2008年1月7日月曜日

『カタリベ』石川雅之 リイド社

晴れ 気温はやや低めだが日差しもあり暖かめ 穏やかな日

昨晩、家族で外食。ついでに数冊本を買う。

新刊
・『ブラッドハーレーの馬車』 沙村広明 大田出版

以下は古本
・『カタリベ』石川雅之 リイド社
・『人斬り龍馬』 同上

◆『カタリベ』石川雅之 リイド社

『カタリベ』は初めて触れた石川作品で、雑誌の打ち切りで終了したと言う曰くつきだったこともあり、もう一度読みたいが諦めていたのだが、最近リイド社から出版されたと聞いて、是非読みたいなぁと思っていただけに、手に入ったのは嬉しい。
他の作品についても後に感想を書きたいと思うが、まずはここから。

明朝の中国大陸統一によって元末の動乱が終息して、数十年。
時は、新たなる血を海に求めようとしていた…。

日本・中国のうねる時代の中を生きる主人公<カタリベ>と海に生きる者たちの壮絶な生き様を描いた海洋冒険活劇!!

Wikipediaより

ちょうど時期的に、EVAやらもののけ姫やらにやたらはまった時期なのでその当時はすんなり読めたのだが、改めて読んでみると、なんとも凄まじいオープニングだ。
正直、主人公の少年を旅に追いやるために、ここまで不幸の連鎖を一身に背負わせるのはやり過ぎな気もする。
悲惨さの面でEVAも目ではない。もののけ姫もカワイイもんだ。
なんせ、自分の行動によって、死ななくて良い自分の仲間が80人惨殺されるのだから。

一人の少年には過酷過ぎる状況の奥底で、ハバン神と呼ばれる、神とも妖怪ともつかぬ存在、いわゆるデウスエクスマキーナと、ある意味「呪い」とも言えるを約束を交わす。

「半年生きる毎に、死んでいった仲間の一人を生き返らせよう。」

つまり40年生き延びれば死んでいった仲間全員が生き返るのだ。
だが、バハン神はそのための手助けは一切しない。(遠巻きに色々やってはいるが)自分の力で生き延びなければならない。
ここまで、(実は出自もそうらしい)周りの都合によって翻弄され続けてきた少年がここで始めて、自ら生き延びて仲間を生き返らせることを決断する。

時同じく、同じバハン神に取り付かれたマエカワと出会い、ついて行くことに。
彼はそこまで「御曹司」とだけ呼ばれてきたが、マエカワに名前を付けてくれと頼み、マエカワは「カタリベ」と言う名を彼に付ける。

「カタリベ」って言うのは良いですね。
当事者でありながら第三者。
その時代を生きながら、その言葉は時を越える者。

彼は、マエカワと仲間と共に戦乱の時代に自分たちの道を歩いていく…という所で打ち切り。
第一部完(とはなってなかったが)の類としては、納得いく終わり方の方だと思う。
読み終えて、これは「冒険活劇」であると共に典型的な「昔話」だなぁと思った。

「典型的」と感じたのは、キャラクタの多くがまだ表層的・類型的な存在で、深く掘り下げられない段階で終わってしまったことが原因の一つだと思う。
と、同時に、作者がきっちりと昔話的な物語構造を構築した上で話を書き始めた(と私が勝手に思っているのだが)ことが、出ているのかもしれない。
壮大な物語になる可能性があるだけに、きちんとした物語構造を用意することは絶対必要なことではある。不明な部分がないというのはすごいことだ。

だが、これは(なにもやっていない無責任な一読者の)わがままでしかないのだが、もっと余計な部分があっても良かったのではないか?という気もする。
破綻と言うか…。(…わがまますぎだ。)

(この作品を読んだ当時、私も南北朝の東北を舞台にした芝居を書こうと考え書きかけたが、人物を多くし過ぎ、途中で破綻して未完のままお蔵入りにしてしまった。
余りにステレオタイプになってしまったため破綻させようとして失敗したのだ。私の場合は単なる実力不足だ。)

続編を読みたい気もする。
が、書かなくても良い気もする。
作家的にはどうなんだろう。

書かなくても…と思うのは、たぶん、別物になってしまうんではないかと思うのだ。
例えば人物描写という点では「もやしもん」の方が優れていると思う。
ではあの物語で「もやしもん」なみの描写が出来るだろうか?
永野護のFSS並みの時間をかけるつもりなら別だが…時間をかければかけるほど、あの作品のよさの一部が無くなって行くような気がする。

時間を掛ければこそ伝わることがある。
時間が無いからこそ伝わることもある。
あの作品で伝えるべきことは、「勢い」だと、私は思う。

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