2009年3月29日日曜日

『金持ち父さん貧乏父さん』読了

『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ著)を読んだ。

妻がだいぶ前に購入した本で、タイトルや帯を見れば内容的に大体予想が付き、この手の本は好きじゃないので避けていたのだが、なんとなく読んでみようと思って持って行った。

当初、金持ち父さんは何故金があるのか、どうやって稼いだのか、と言った、テレビのニュースで表彰される様な成功者の金儲けテクニックと説教と自慢話の本だと思っていたのだが、読中読後に頭の中に思い浮かんだのは、坂口尚の『あっかんべェ一休』(講談社漫画文庫)だった。

「全ての人が“人生に突かれ”ながら生活しており、突かれることに対抗するために、金や力を手に入れようと考えるが、金や力も所詮は道具でしかなく、人生の舵取りを自分で行えない限り=突きにかかる人生に立ち向かわない限り、金を稼いでも根本解決にはならない。
お金持ちになりたいなら、お金の持つ魔力(もっとお金があれば幸せになれるという幻を見せる力)から自由にならなければならない。」

というような(かなり偏りのある要約だが)主張が根底にある。

この辺はよくわかる。
今までに就いた全ての仕事で、「このままじゃジリ貧だ」という思いを抱かなかった仕事はない。
しかし、ではどうしたらジリ貧から逃れることができるかになると、どこかにある答えを期待し、あるいは上司が、会社が、あるいは世界が自分の成果を認めてくれてジリ貧から救い出してくれると、無邪気に期待していた(いる)ような気がする。

シンデレラですな。

10年前なら、この本を読んでも特に感慨は沸かなかったろうと思う。
お金を稼ぐことで、何も変わらないと思っていたから。
でも、そうしてお金を稼ぐことから目を背けて生活を続けてきても、結局何も変わらなかった。
本の中の言葉で言えば“人生に突かれ”まくっている。
抵抗することもできず、結局、新しい境遇からもリタイヤしてしまったわけだが、これだって、自分で選んだわけじゃない。直接的には会社の選択だが、結局の所、私自身が自分の人生に立ち向かいきれなかったからで、その根底にある原因は、日々の生活の糧を得るため=「お金を得るため」仕事をしてきてしまったことにあると感じた。

生活を維持するため、より良くするためにはお金が必要で、その為には仕事をする必要があって、
これまで、私にとって、仕事とは日々の生活を維持できればそれで十分、それ以上は仕事したくないと考えていて、
でも、子供や家族を幸せにしようと考えたら、その欲望を十分満たすお金が必要で、
考えを変えて仕事をドンドンやればやるほど心身に負担が募って、死ぬことばかり考えるようになって、
これらの色々の根源は、詰まる所、お金を稼ぐことに対して真っ向から立ち向かおうとしなかったからなんだと思う。

どうすべきか?

仕事から自由になるには。会社や上司や世界から自由になるには。
それを考える度、「もう遅いよ」とつぶやく自分がいる。
「一番大事な時期を無駄に過ごしたんだからしょうがないよ。」と。
たぶんこのまま人生を終えるとしたら、今わの際にそういう感想を持たざるを得ないだろう。
つい最近まで、それもしょうがないと諦めてきたが、よく考えると、それこそ、これまでずっと、そうはなりたくないと思い続けていたものだ。

まあ、お金に対して自分の頭を使うことが大事なんだと思う。
これから、少し悪足掻きしてみよう。

あと、こんなブログもあった。

「金持ち父さんは実在しなかった!」 - 幸せな成功のための魔法の杖

ゲームを売るための本だったと。さもあらん。
んで、この著者自信がロバート氏のセミナー商法を実践しているらしい。
情報が一番の商品、なんでしょうな。

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