晴れ 数日前の予報では雪だったが外れた
11時頃 家族でたこ焼き。20個×5回半。たぶん40個位は私が食べた。水は1.5リットル近く飲んだ。
KIRINスパークリングホップ350ml 144kcal、ポテトチップスコンソメパンチ10g約50kcal。
◆『立喰師列伝』
監督:押井守
ようやく観れた。
押井ファン以外にはこれは無理だろう。楽しむのは。
ドキュメンタリー風なフィクション。
綿密な虚構を積み上げていくことによる仮想現実の構築。
虚構であることが現実によって批判されることが良くある(「結局フィクションでしょ?」)が、しかし、現実に起こったことを(自らが体験したことを)他人に伝えようとする過程を経た段階で、それはすでに現実そのものではない。
極論すれば、発生した時点だけが現実であり、人がそれを物語ろうとする時それは全て虚構であると言える。
問題なのは、そのあらゆる虚構がそれを受け止めた人間に何を感じせしめるかである。
で、本作。
“立喰師”という存在は押井守のオリジナルであろう。
(仮に現実に存在したとしても巷間に囁かれることが無い時点で虚構に近い存在である。)
この立喰師達を通して表現されたこのドキュメントは、「“時代”と“虚構のあり方”の変遷」を表現したものだと私は感じた。
と同時に、虚構のあり方の変遷を通して、変わることの無い虚構と現実の距離を示そうとしたドキュメントだろうと。
でも、そのための道具立て、虚構をもう一つの現実として成立せしめるための様々な努力が、押井ファンには堪らないが、一般の人には邪魔になるように思う。
虚構をもう一つの現実たらしめるためには、その世界のルールを受け入れなければならない。
そのルールが感覚的に駄目な人に、この作品を楽しめというのは酷だと思う。
かつて『犬狼伝説』のコミカライズに載っていた押井守と藤原カムイのインタヴューで、押井守が「犬の話はやらせてもらえるけど、だったら立喰師の話だって良いじゃないか。」という趣旨の話をしていた。
もう15年近く前の話だが、それが実現したと言うわけだ。そういう意味では感慨深いものがある。
CGの乱用による実写と特撮、アニメーションの混生した映像表現の世界の変化が、アニメを知的輸出物に、押井守を世界のOSHIIにし、それがこの企画を実現せしめたと言う意味では、時代の流れを強く感じる。
この先、映像はどこに行くのだろう。あるいは表現は。
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