まあ、果して息子にとって嬉しいことかどうかはともかく、彼とは趣味の方向が合うことが多いようだ。YMOとかアニメの趣味とか。
もちろん、趣味が合わない部分も多い。
親子と言えども他人なのだなと思うのだが、時々妙に趣味がマッチしてびっくりする。
今日、「GHOST IN THE SHELL-攻殻機動隊-」をスカパーで見た。
何故何故攻撃は激しかったものの、その分楽しんで見ていた様子。
映画館で見て以来、久しぶりにまとめて見た。
今の時点から見ると、映像的にはStand Alone Complexの原型としての印象の方が強く感じられる。映画としての完成度では正直、「イノセンス」の方が上だと思う。…上というか、押井守らしいなぁと思う。
「GHOST…」で押井守が描こうとしたのは、実はサイバー世界の神話だったのではないだろうかと今回見てて思った。
異種婚というか、デジタル世界の妖怪・妖精たる人形使いと、人間世界の魔導戦士たる草薙素子の結婚譚としての部分を描こうとしたのではないだろうか。
原作『攻殻機動隊』でも、その要素は確かに組み込まれているけれど、それを前面には押し出さない(と言うか、士郎政宗の作品は、あらゆるデータを割と等価値に扱う-膨大な情報の裏付けによって情報の質への拘りを無くせしめる。)方向で描かれている。
これを押井守らしくないと感じたのは、押井作品の多くが、神々の話ではなく、神々を祭らずにいられない人々、逆に神々にまつろわぬ人々の物語であるというせいだろうと思う。
例えば、「紅い眼鏡」や「人狼」などのケルベロスを扱った一連のシリ-ズは、「犬」をモチ-フに、前述のようなテ-マを描いてるように思う。「パトレイバ-2」等の映画版パトレイバ-でも、その辺のテ-マは大事な要素とされていた。
このテ-マは、「GHOST…」ではほとんど語られていない。
草薙素子はある種の縛りの中にいたが、それは他の作品でモチ-フにされている「犬」としての縛りではなく、神に対する人間としての縛り、イカロスの翼的な縛りだろう。
押井守の真骨頂は、やはり神を仰ぐ愚民達の悲喜劇であろうと私は思う。
それは私の趣味だと言われればそれまでだが。
神話としての完成度も、実は高くないと思う。
以前、どこかで書いたが、原作にある意味気兼ねした結果であろうか。神話としての練り込みが足りない様に思う。現象の説明に終止してしまっているのだ。
余談でもあるが、息子に聞かれて一番困ったのは最後のシ-ンだった。
「なにがどうなったの?」
「あの女の人と人形使いが一緒になったんだよ。」
「?????」
アニメにおいてそれはありなのか?という辺りから説明が必要になってしまい、大変だった。たぶん、納得はしていまい。
あと三十分追加してバト-やトグサの方から描き込んでも良かったのではないだろうか。
まあ、それをやっていたら、あるいは「SAC」も「イノセンス」もなかったかもしれないが…。
スカパ-では明日、「イノセンス」もやる。
楽しみだ。
説明は…また大変そうだ。
「人狼」もやってくれないかな…。
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