妻が懸賞で招待券を当ててくれたので家族三人+友達のNINさんと一緒に観に行ってきました。
まー色々とツッコミ所のある作品でした。
まだ上映中の作品なので、詳しい内容については省略します。
原作を読んでいないのでなんとも言えない部分はあるのですが、なんかテーマが絞り切れていない様に思います。
有り体に言えば、
主人公と母を中心にした「家族の発見と再構築」の物語。
主人公の「自己実現」の物語。
大きく分けてこの二つ。
更に「いじめ」や「日タイ文化交流」や「象との交流」等々。
これらのテーマを複合的に上手く描くことは可能だと思いますが、この作品では上手くいっていないと思います。
予告編やCMではどちらかと言うと「自己実現」や「文化交流」、「象との交流」がメインの物語のように思われましたが、本編ではむしろ「家族の発見と再構築」の方に力を入れようとして(失敗して)いたように思います。
この二つは本来対立するものではないのですが、今回失敗していると思った原因は「象」と「家族」ではないでしょうか。
今回の映画、良くも悪くも「象」が大きなキーワードになっていますが、日本において象はけして一般的な、つまりそこらへんで良く見掛けるような動物ではありません。
象と交流出来ると言うことは、極めて特殊な状況であり特別な能力であります。象が出てくると言う、それだけでエキゾチックな雰囲気を醸し出します。
今回の映画ではその象と交流する少年もまたちょっと特殊な環境に育ち周囲と交流することが出来ずにいた少年であり、その交流は否応なくロマンチックなものとなります。
一方の「家族」ですが、「家族の発見と再構築」を描く場合、その家族の有り様がその発見と再構築のドラマ性と直結してきます。
そしてこのテーマは「"家族"と言うものが存続している」という前提と「それはすでに崩壊している。」という認識、そして「それでも形を変えて"家族"は存在している。」という結論から成り立つ場合が多いです。
ですので、そこに現れる家族がその時点その世界での一般的な家族イメージに近い程、ドラマ性が高まります。
今回は、やりたいことを追い求め家族を犠牲にしつつ仕事に邁進する母と家族という点では現代的ですが、お互いに助け合ったりしつつ、必要なら他の動物を切り売りしつつ、それなりに上手くいっています。
つまり崩壊していません。
母と息子の対立はけしてシリアスになることはなく、交流はしないまでも同じ道を並んで進んでいます。
テーマとして持ち出しながら、ドラマ性を引き出すのに失敗しているという感じでしょうか。
普通でないがまあなんとなく上手くいっている家族がそれなりに上手くいっていることを確認し、崩壊することなく終わってしまったわけです。
つまり、「家族」テーマが求める一般性と「象」の醸すロマン性が対立してしまったんですね。
正直な意見を言えば、ロマン性を中心に据えそちらを突き詰めて、時間を半分にして「家族」テーマは削った方が良かったと思います。二時間は長い。
特に最後の方で彼女(?)が主人公の母親と語るシーンは蛇足だと思いました。あそこを削って死→象のラインをはっきりさせた方が良かったと思います。
とは言ってもそうはいかなかったんでしょうね。制作的には。
嫌な見方ですな。(^^;
劇中劇で武田鉄矢が言っていたのですが、「子役と動物には敵わないわ」という言葉、残念ながら今回はチョイ役の武田鉄矢と主人公と象、良い勝負だった気もします。印象と言う点では。(^^;
ところで、タイトルの「星になった少年」ですが、正確には「象になった少年」だったと思います。
「星になった少年」なら、ランディの額の星が増えるとか。
それもオリオン座だと思ったら北斗七星になっていたとか。
「北斗七星を持つ象」とか呼ばれて、救世象になるとか。
更に一つ星が増えちゃって、みんながそれ見ちゃって大変なことになっちゃうとか。
なんだそりゃ。
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