銃器の歴史の中で“近代への変化”というべき時代がこの辺りだと思うのだが、長い間この辺の流れが謎だった。
詳しい年は省略。
動きが出てきたのは1850~1870年ごろ。アメリカの南北戦争が銃器の実験場になった。
1822年アメリカのジョシュア・ショウがパーカッションロック式を発明。以後、フリントロック式からより信頼性が高いパーカッションロック式に移行が進んでいくが、パーカッションロック式の進化は、雷管の進化と関連している。
最初の頃には子供のおもちゃや運動会のスターターで使うような、紙テープで火薬をはさんだものを雷管代わりにした銃が作られたりもしたが信頼性はきわめて低かった。
後、金属製の容器に雷酸水銀を詰めた雷管が使われるようになり、パーカッションロック式が発展した。
パーカッションのつけ場所として、はじめは伝統的な流れで銃の横側に付けられたが、後真後ろに付けられるようになった。やがて、雷管を仕込んだ薬莢が使われるようになり、その雷管をピンで突き破る形が取られるようになり、それがボルトアクションに進化していく。
初期の元込め銃は、銃の後ろ部分を跳ね上げて薬莢を込める形だった。
今でも散弾銃などでは見受けられるシステムである。
劇的に変えたのがモーゼル社の発明したボルトアクション。(ちなみにモーゼルはこれに似た機構を持つピストルも作っている。)
これがその後、自動小銃が登場するまで小銃のスタンダードとなる。
薬莢について
初めは一回分の火薬と弾を一つにまとめた容器が薬莢代わりとして使われていた。
これをコンパクトにした紙製薬莢が使われるようになった。
初期の元込め銃でも紙製薬莢が使われたが、しけり易かった為、後真ちゅう製の薬莢に移行した。
ライフルは1600年代にはすでにその有効性が語られたが、作業の手間とコスト、装填の時間的ロス、メンテナンス性などの問題から本格的に使われるまで2世紀近くかかった。
その過程では様々な実験により「ライフリングを彫らない方が良く当たる」ことを実証するための実験が行われたりもした。
(ある聖職者が件の実証のため、ライフリングを彫らない方に銅の弾を、彫った方に銀の弾を込めて射撃実験をした。 10発撃って、彫らない方は9発当たったが、彫った方は1発しか当たらなかったとして、ライフリングは役に立たないと主張したそうだ。が、これは銀が柔らかいための結果だった。)
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