昨夜、以前から友人に借りていた第三舞台の『朝日のような夕日をつれて'97』のDVDを見ました。と言っても飛ばしながらですが。
学生の頃、『~'91』を演劇部で上演しようとしたことがあったのですが、他のメンバーとの温度差があり過ぎて中止。部を辞めるきっかけにもなりました。
実は、ビデオ以外で第三舞台の芝居を見たことはありません。この『朝日~』も台本で読んでいただけでした。でも、なんか良いと思ったんですよね、当時は。
DVDとは言え改めて見てみると、当時、鴻上が後書きなどでぼやいてた先輩演劇人のダメ出しと言うのが良くわかる気がします。役者の力だけで時間を成立させていく。それも極めてテンポ良く。それが得てして表層的な疾走感を狙っただけの何も残らない表現に見えやすい。
これは野田やつかの芝居にも言える気はします。
ただ、当時(そして今)の"現在"を的確に表現しようとしたとき、これはありだろうなとも思いました。あの日、あの時、あの場所を共有できた人達に取っては、あれは特別なものになり得たと。
そして演劇は、結局その日、その時、その場所でしか存在し得ない物なのだから、そういう意味で言うなら実に演劇的な演劇であるとも言えるでしょう。
ただまあ、あまり好みじゃなかったみたいです。すごいなあとは思うけど。
数日前に高校生の頃にはまった『オネアミスの翼』を観ました。
懐かしかった。惜しむらくは、パソコンの小さいウィンドウだったことですが。
一時期、これを観て宇宙飛行士になろうとか本気で考えた物でした。学力が追い付かなくて辞めましたが。
思えばあの頃から、未来の目標に乏しい人間でありました。
あと、『攻殼機動隊 - GHOST IN THE SHELL -』も観ました。
リアルタイムで見た当時は、士郎世界と押井世界の融合だ!と感じて感動したものでしたが、改めて見ると、どっちかと言うと原作のダイジェストに終止した作品だったのだなと思いました。
あまり押井っぽくない。そして原作にある言葉やシーンを割とそのまま大目に使っている。
継ぎ接ぎの仕方がそれなりのレベルなので良いのですが、『紅い眼鏡』や『御先祖さま萬萬歳』、『人狼』などに見る押井美学とでも言うべき物は影を潜めてる感じがしました。
昔見た、それも結構当時熱狂的に見たものを改めてみると、新しい発見があって面白いです。
でも、一抹の寂しさも感じるのは、感傷でしょうかね…。
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