息子が、夜の方が勉強捗るので、受験まで、昼間少し寝て主に夜勉強する形を取りたいと言ってきた。
私はそれで構わないけど、受験本番は昼間なので、その形から昼間主体に切り替えるのに何日かかるか予め見積もり、周りが余計な心配しなくて良い様私や妻に、告知しておく必要があるんじゃないかという様な回答をした所、そんなに面倒くさいならやらなくていいと諦めてしまった。
どうやら私は彼のやる気を阻害してしまったらしい。そんなつもりはなかったのだが。
「部分肯定は否定と取られる」とはよく言うことで、こちらは基本的に肯定のつもりでも、肯定して欲しいと願ってる人間には肯定していない部分がより強く伝わり、否定に取られてしまう。肯定された記憶に乏しい人間の場合は特にその傾向が強い。
だから、部分的に肯定できる余地があるなら、賛意をより強めに示す必要があるのだろうと思う。
だから、部分的に肯定できる余地があるなら、賛意をより強めに示す必要があるのだろうと思う。
今回のことで言うなら、まずは「いいんじゃない」だけで良かったのだ。
懸念材料は、賛意が十分伝わってから伝えるべきだった。
モチベーションは自己肯定感と密接につながっている。自分に価値があると思うからこそ、自分の行為に価値が感じられるし、だからこそやる気もでる。
懸念材料は、賛意が十分伝わってから伝えるべきだった。
モチベーションは自己肯定感と密接につながっている。自分に価値があると思うからこそ、自分の行為に価値が感じられるし、だからこそやる気もでる。
もちろん、この世の中には部分肯定は溢れかえっていて、特に仕事の現場なんかでは部分肯定でない言葉を聞く方が珍しい位だから「いちいちそんなことで傷付いてどうする、ポジティブシンキングするなりメンタル鍛えるなりしろよ。」と言う事は出来る。
これは正論だ。が、正論というやつは、時と場所(そしてその言葉を吐く人間自身の人間性)を選ばなければただの暴力になることも忘れてはならない。
上記の論は、否定されやる気を削がれた本人が、立ち直るために自ら見つけ出すたぐいのもので、他人が賢しげにぶつけるべきものではない。ましてやる気を削いだ本人が言うのでは、傷口に塩だ。
これは正論だ。が、正論というやつは、時と場所(そしてその言葉を吐く人間自身の人間性)を選ばなければただの暴力になることも忘れてはならない。
上記の論は、否定されやる気を削がれた本人が、立ち直るために自ら見つけ出すたぐいのもので、他人が賢しげにぶつけるべきものではない。ましてやる気を削いだ本人が言うのでは、傷口に塩だ。
とまれ。
中長期的にはそうした考え方を見つけて欲しいが、短期的にはやる気を削ぐことなく少しでも増やしていけるようサポートすべき時であり、それを優先すべきだった。
というか、そもそも彼が打たれ弱いのは、私達が、彼の想いを部分否定す?ことが多かったからだ。
もっときちんと肯定の意思を強めに発するべきだった。そういう心遣いが必要だった。
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