2016年3月3日木曜日

ミステリーっぽさが珠にキズ? 『珈琲店タレーランの事件簿』 岡崎琢磨:著

昔、まだ劇団に居た頃に、若手公演の台本を私が書いたことがあり、そのオープニングでコーヒーミルを挽く探偵を登場させたのだが、そんなわけでこの作品には勝手に親近感を感じている。
コーヒーを愛する男女と謎解きの組み合わせは面白かった。


楽しんで読んだのだが、正直最後の辺り読んでてモヤモヤした。
後出しの問題が出てきて、昨今は探偵小説にありがち「犯人はヤス」パターンの末、大団円。
あれ、蛇足だと思うのだ。
後書きに、本格ミステリの賞に応募され、ミステリ要素が弱いところを加筆修正した上で出版されたとあったが、そのせいだったのだろう。
ミステリ作品は、謎解きを大事にし過ぎる。でも、あのラスト(あまり好きじゃないが)を採るのなら、隠す必要が合ったろうか? どうしようもないこと、コーヒーミルでも名探偵でもどうにもならない事をどうにかするのは諦念か愛であり、それをこそ描くべきではなかったか。
ミステリらしくない方があの作品の魅力はもっと生きたのではないか。(あくまで私の好みとしてだが)

だが、そうなればあの作品は世に出ことはなかったかもしれない。 ほんのこの世はうまく行かないものだ。

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