エウレカ・セブンを見た時、その真っ正面から(同時にきわめてファンタジックに)恋愛を語るその姿勢に、背筋がカユくなりながら見逃せなかったものだが、その後継作品となる当作は、真っ正面から少年の成長を描く物語だった。
最初舞台が沖縄だったことには、正直違和感を感じた。前作に対するパラレルワールド物かと思ったのだが、違った。
複雑に時間軸を行ったり来たりしながら、その中で主人公が人と出会いつながっていき、それが力となって世界を救うが、その果てに全てのつながりを失って、それでも世界へ帰っていく。
まどか☆マギカの感想で救世主の物語としての側面を書いたが、この作品もまた救世主物語的でありながら最終的に明確に人の物語、少年の成長の物語として結末を迎える。
成長の物語を描く場合、その成長の過程にリアリティがあるかどうかが一番重要なポイントとなるだろう。
この作品の場合、元々が失われた状態から始まり、失われたものを取り戻そうとする過程が描かれるが、取り戻すことよりも大切なモノに気がつく過程が、丁寧に語られている。
と同時に、庇護の殻が一つまた一つと削ぎ落とされ、それが新たなステージへの成長へつながるスリリングな展開が続き、終盤に行くに従って、少年はどんどん孤独な状態に陥るが、その割と直前まで最大の敵であった存在によってそれを超克し、一人の成長した青年として世界と対峙する…そのはゾクゾクのし通しだった。
『エウレカ・セブン』をきっちり受け継ぎながら、また違ったテイストの物語になっている点は好感が持てる。
少年の成長物語が好きな方には強くオススメしたい。
ところで、その後沖縄の状況が段々きな臭くなっており、最近「沖縄独立」みたいな話がチラホラ出てくるようになった。
「沖縄の孤独な戦い」ル・モンド 内田樹 : BLOGOS
http://blogos.com/article/109351/
この話をバカバカしいと蹴るのは簡単だけど、今の「日本人」というくくりは明治以降、世界的に見れば民族主義が興隆した時代に作られた物で、「日本人が一つのまとまりのある存在」だと考える方がナイーブな話だと思う。
実際問題、沖縄や北海道はもちろん、九州だって東北だって、かつては土蜘蛛・熊襲・蝦夷の土地だったのが大和朝廷に支配され体制の中に組み込まれてきたわけで、歴史や文化を見れば必ずしも均質ではない。
民族主義はそんな均質ではないものを一括りにする「民族」という枠組みを重視していたわけだが、グローバル化がその枠組みを劣化させており、沖縄の動きはそんな時代における国家・地域のあり方を象徴する物になるかもしれない。
エウレカ・セブンAO製作時、そのへんの話がどの程度あったのかはわからないけど、なんとなく先駆け的な話として面白いと思う。
ところで、その後沖縄の状況が段々きな臭くなっており、最近「沖縄独立」みたいな話がチラホラ出てくるようになった。
「沖縄の孤独な戦い」ル・モンド 内田樹 : BLOGOS
http://blogos.com/article/109351/
この話をバカバカしいと蹴るのは簡単だけど、今の「日本人」というくくりは明治以降、世界的に見れば民族主義が興隆した時代に作られた物で、「日本人が一つのまとまりのある存在」だと考える方がナイーブな話だと思う。
実際問題、沖縄や北海道はもちろん、九州だって東北だって、かつては土蜘蛛・熊襲・蝦夷の土地だったのが大和朝廷に支配され体制の中に組み込まれてきたわけで、歴史や文化を見れば必ずしも均質ではない。
民族主義はそんな均質ではないものを一括りにする「民族」という枠組みを重視していたわけだが、グローバル化がその枠組みを劣化させており、沖縄の動きはそんな時代における国家・地域のあり方を象徴する物になるかもしれない。
エウレカ・セブンAO製作時、そのへんの話がどの程度あったのかはわからないけど、なんとなく先駆け的な話として面白いと思う。
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