最近、なんとなくNECのPC-9801シリーズについて調べたり考えたりしていた。(あまり暇なわけでもないのだが…忙しいとついそういうことで暇を潰しがちなのは悪い癖だ。^^;)
ネット上で見ると、さすがに一時期は国民機とまで言われた機種だけあって、それなりに情報はあるが、細かい仕様などまで調べて行くとなかなか書いてない場合が多い。
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ここにはPC-9801/9821シリーズなどの各マシンのスペックが詳しく載ったデータバンクなどがあった。
ともすると、PC-9801は、IBM-PCを意識したパクリマシンであり、王座につき続けられたのは、Microsoftと同じでイメージ戦略と排他的な商法によると、PC-9801によって日本のコンピュータの進歩が遅れたとする論が多かったし、私もそういう考えを採っていた。だから、いつもの癖で、「もしも新しいアーキテクチャを採用して世代交替を行えてたら、そしてそれを他のメーカーにもオープンにしていたら、今もPC/ATと対を張れるアーキテクチャとして生き残れたのでは?」とか思考実験して遊んでいたのだが、今日本屋で『甦るPC-9801伝説』(アスキー出版社 月刊アスキー別冊)という本を読み、なんとなくPC-9801の全体像が見えて来た気がする。
PC-9801のネガティブ情報も真実を含んでいるだろうが、ジレンマを抱えながらの企業努力もあったのだということがわかった。初代PC-9801から最期の機種に至るまで、上位互換に徹底的に拘り続けたため、結果性能が良い新しいアーキテクチャをホイホイと導入し、顧客に押しつけることができなかったのだ。
WindowsでもMicrosoft Officeなどでは、アップグレードすれば使えなくなるソフト、読めないデータが出て来るのは当然くらいに感じている今の視点で見れば、PC-9801シリーズが採った互換性にギリギリまで拘るやり方は、やはりあまり良いやり方とは思えない。
しかし、既に電気屋の店頭に並ばなくなって久しく、先日受注販売が中止されたにもかかわらず、色々なところでいまだに使われているのは、惰性だけではないのだなと感じる。(今でも安定性が今のパソコンと比べものにならないほど高いという意見も聞きますし。もちろん単純に比較は出来ないですけどね。)
PC-9801の歴史はなるべくしてこうなったのだろう。そこに、想像の入り込む余地はあまり無いのだなと思った。
正直言うと、今のパソコン業界に一石を投じるような新しい使いやすい魅力的なアーキテクチャが生まれ、広まったら。それも日本からそれが出てきたら、とつい想像してしまうが…そんな夢が入り込むには、今のパソコン状況はあまりに商売臭くて世知辛い。
ああ、パソコンにもっと夢を!!
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