2019年10月13日日曜日

精力剤を試してみた

発端、そして購入

これまでこの手のものは使ったことがない。
二十代の頃、栄養ドリンクを多用したけれど当時は全然効いた実感が沸かなかったため、それ以来この手のものを信用しなくなったからだ。
気が変わったのは、ここ数年で頓に心身の衰えを感じていた事と、少し前に“ドン・キホーテで購入した精力剤が無茶苦茶効いた”という体験談のツィートがバズってるのをTwitterで見掛けたからだ。

2019年10月9日水曜日

方言のイメージ

「東北弁喋る人って素朴な感じがする。ヤクザとかいなさそう。」
妻と話をしていた時に、妻からふと出た言葉。
少し前に私が書いた台本に郷里の方言をしゃべるキャラクターを登場させた事があるのだが、方言を喋りながら他人を問い詰める様な話で、読んでもらった時の感想は「怖い」だったのだけど、その「怖い」の根底はここにあったらしい。
素朴そう、純朴そうなイメージの言葉をしゃべる人が他人を問い詰めるから怖いと。
なるほどと思った。

2019年9月16日月曜日

折り込みチラシの有用性

演劇の制作に関しては素人だが、仕事で情宣関係のこともやっているので、その視点からいわゆる「折り込みチラシ」の有用性について考えてみた。

2019年8月17日土曜日

「レ・ミゼラブル」たちの世界

少し前に、青年時代に折々心に移り行く由無し事をそこはかとなく書き付けていたノートを何冊か見つけ、読み返して、あの頃の灰色と言うか仄暗い(漆黒でも色鮮やかでもない)日々を思い起こしうんざりしてしまった。
何よりうんざりしたのは自分が今で言う「自己責任」だったり「新自由主義的」なことを書いていたことだ。曰く、今の自分はダメで、このままではジリ貧で、この状態から脱するためには強くならねば、変わらなければならない。変わろうともせず弱者に甘んじるべきではなく、まして弱者であることを権利のように振りかざすのは間違ってる云々。
黒歴史とはこのことだ。
鬱で会社を辞めたり、自分に発達障害的な傾向があることを知って以降、私のモノの見方は大分変わった。が、今の私からみてため息をつきたくなる様な言動を私自身していたという事実は、ネット上などで眉をひそめたくなるようなヘイト発言を繰り返す人達と私とは地続きということで、なんとも暗澹たる気持ちになる。
まあ、人間とはそういうものと、諦めるしか無いのだろう。
先日、家族みんなで「レ・ミゼラブル」のミュージカルを観た。
ダイナミックでパワフルで完成度が高い舞台はとにかく圧巻で、面白かった。エンターテイメントとはこれ、と言う感じ。
感想としてはそれ以上は無いのだけど、そこはそれ、観ながら感じたことをいくつか書いてみようと思う。

2019年5月16日木曜日

あだ名の行方

息子の話だと、最近の学校ではあだ名をつけるのは良くないので禁止されているとのこと。なので「✕(ペケ)な人々」はいずれピンとこない人が多い作品になるだろう。まあ随所に昭和な感覚が息づく作品なのですでに時代遅れなのだと思いますが。
ただ、個人的には、呼び方での差別や罵り、蔑みや辱めがそれで無くなるとは思えなくて、たぶん形を変えて、いわゆるあだ名じゃない形に変化してるのでは?と思う。あくまで妄想だけど。
例えば、

2018年11月9日金曜日

できない人への無邪気な悪意

できる人間が、できない人間のできなさを怒り、責め、罵倒したり、あげつらいあざ笑う等々、感情に任せて行う言動は社会的に許容されることが多いが、できない人間がそれに対し反省し謝罪し感謝する以外の言動をとることは許されず、傷ついたり苦しんだり、まして反論することはより強い批判や非難を呼び起こすことになる。
できない人ができない原因は、本人の資質(やる気も含む)に負う部分はもちろん大きいが、その業務ができにくい業務であったり、できにくい環境であったりする部分の方がはるかに大きい。例えば、ある業務において、できない人ができるようになったら、それはその人一人だけのプラスだが、その人も含めできない人みんなができるような業務や環境に改善すれば、そこの全従業員分のプラスになる。

2018年7月26日木曜日

『×(ペケ)な人々』が第6回せんだい短編戯曲賞の最終選考に残りました。

3月に応募した戯曲『×(ペケ)な人々』が第6回せんだい短編戯曲賞の最終選考に残りました。
ありがたいことです。
対象の戯曲は最終選考まで下記のページでダウンロードして読むことが出来ます。
よかったらぜひご一読下さい。

せんだい演劇工房10-Box:「第6回せんだい短編戯曲賞」最終候補作品について

10/31追伸:最終選考では選ばれませんでした。残念。