妻が「LINEでのやりとりは便利だけど、今までにないストレスを感じるようになった気がする。」と言う。
LINEでやり取りすると、それは記録され文字として残り、既読かどうかも確認できる。
これはとても便利なのだけど、だからと言って書かれたことがきちんと伝わるとは限らないのがストレスだと。
例えば、
数日前にLINEでこの日の何時からどこそこに行くという用事をやり取りしたとする。
でもその日になってみると伝えた相手が来ていない、電話をすると「忘れていた」との答え。
あるいは、電話すると「でもその後のやり取りで中止するかもみたいな話が出てたので中止だと思った」と言われた。
確かにそういった話題は出たが中止という結論になったわけではない、が、中止の話は無くなったという明記もない。
伝えたのに忘れている、伝えたのに誤解される。
記録としては残っているのにトラブルを防げなかったことのストレス。
(上のやり取りはあくまで架空です)
こうしたトラブルはどうしたら防げるんだろう。
妻と話していて思ったのは、「画面上に無いものは無いのと一緒」ということ。
これらの手段がない場合、言葉で伝える、手紙で伝えるなどで伝えることになるが、発した言葉は振動が消えた瞬間に無くなる、手紙は燃える破れる、あるいは紛失すれば無くなる。悪意がなくても手紙の上にぽんと別なものを置けば無いのと一緒になる。
(紛失物が発生するのは案外こうした何気ない行為の結果だったりする)
LINEでの場合、今目の前の画面から消えたものは、確かに後から引っ張り出すことは出来るが無いのと一緒なのではないか?
そしてまた、「伝える・伝わる」ことと「実行する・実行させる」こととの間には、深くて広い川があるということをこそ、より意識すべきなのかもしれない。
情報過多のこの時代、情報を伝えた伝わったことは大したことではなく(それはそれで大事なことなのだが)それをどうやって現実の行動に繋げるかということこそが重要なのではないだろうか。
上ではLINEを取り上げたけど、LINEに限らず、あらゆるメッセンジャー系のもの、メールや、それこそ既存の手紙・電話・口頭での会話に至るまで、あらゆるメディアにおいて、このストレスは存在した。
メディアが便利になったからこそ現れてきたストレスということが出来るだろう。
そんな話をしていて思い出したのはガリバー旅行記の第三章の飛行島ラピュータの話。
ラピュータの男性住人は大変博学で知性が高く、いつも様々な難しい高度なアカデミックな事柄を黙考し続け、外界には全く興味を持たないため、用事がある時は「叩き役」と呼ばれる奴隷に、動物の膀胱を棒にくっつけたもので、頭や耳を叩いてもらって起こしてもらう必要があるのだ。
要するにめざまし役でありリマインダーだ。
あるグループにおいて、情報が行き届くようになったら、今度はそれをどうやって過不足なくそれぞれの行動につなげることが出来るかが重要になる。
膨大な情報から必要な行動へ叩いて目覚めさせる仕組み、それをどういう仕組で実装するか。自分達にとって一番快適なストレスが少ない「叩き役」は何なのか。
それを考えることがストレスの根本解決につながるのかもしれない。
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