2016年8月2日火曜日

それでも人は最善を目指す 特撮映画 「シン・ゴジラ」

「シン・ゴジラ」を観た。
面白かった。すごく面白かった。

それでもう十分なのだけど、何も説明していないし文章にする必要もないだろうとも思うので、一言だけ書くとするなら、

「それでも人は最善を目指す」

というヒトコトを表現した作品だろうと思う。
それを、ある意味誤読されまくったエヴァンゲリオンを作った庵野監督とその仲間たちが作り上げたことが、すでに一つの物語だろうと思う。


あの映画で徹頭徹尾ベストな行動を行えた人間はたぶん一人もいない。

主人公やメインキャストで名前が出ている三人は比較的ベストな行動をしている方だろうけど、色々な意味ではたぶん失敗している。
その他の人に至ってはもうベターでさえない行動に終始して終わっている人もたくさん出ている。
例えば、団地の住人で声もなくゴジラの横倒しで死んだ親子とかetc、etc。
たぶん、声もなく死んでいった人間は、あの物語の中にはもうもう枚挙の暇もない。
ゴジラ災害に対し人災の要素となった政治家達。彼らの責任は?

彼らは確実にベストではなかった。でも、彼らはベターではなかったのか?
最初の内閣で死んだゴジラの放射能炎で死んだ総理や閣僚たち。彼らはただの賑やかし要員か?彼らはただの馬鹿か?
そうではないと、思う。
少なくとも、庵野監督の視点は、それは違うと言っているように思うのだ。
彼らは、彼らの置かれた状況の中で、最善を目指そうとした。目指そうとしていた。
それは結果論としては間違っていたのだが、でも彼らと同じ立場にいて、彼らの判断を行動を避難し得る人間がどの程度いるだろうか。私には無理だ。

少なくとも、そう思わせるだけのリアリティを、最初の「会議は踊る」の場面の文言の文言の文言の積み重ねの不条理さが、逆に表現しているように私には感じられた。
ムダと無能と事なかれ主義と責任主義と、でも、既存の正義や平和や人権や人命への信念。
それを、一刀両断で「バカだ!(笑)」と嘲笑することは私には出来ない。

その、彼らの、どうしようもない不条理なドタバタの上にこそ、後半の、主人公たちの「急」が魅力を持つ。
他人を見、人の考えを気に、周りをキョロキョロした辿り着いた地獄で、「好きにしろ」。

あまりにも、悲劇で、喜劇で、面白い。
一見すればクライマックスで働いている人々がライトスタッフに見える。
でもそうじゃない。彼らの自由は、その前にあらゆるがんじがらめの中でそれでも最善を目指そうとした人々の行為と思いの上で花開いている。物語の真骨頂。

…ということを体感させてくれる映画だった。
すごく面白く、切なく悲しく、怖く、抱腹絶倒で絶望的で、良い。
ここ数年で観た映画の中では、間違いなく最高の作品だと思う。

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